5年でFIREを目指す48歳リーマンの投資日記

5年でFIREを目指す49歳サラリーマンの投資日記

ブラック企業で学んだ3つの事

はじめに

現在ホワイト大企業で勤務する私が、ブラック企業で学んだことを紹介します。

 

 

私が働いていたブラック企業

厚生労働省によれば以下がブラック企業の特徴だそうです。

① 労働者に対し極端な長時間労働やノルマを課す

② 賃金不払残業やパワハラが横行するなど企業全体のコンプライアンス意識が低い

③ このような状況下で労働者に対し過度の選別を行う

 

 私の会社の実態は以下のとおり。完全にブラックでした。

①→定時勤務時間は9:00-22:00の13時間、休日は日・祝日のみ、容赦ないノルマ設定

②→残業の概念がない、社長による罵詈雑言、法に触れなければOK

③→新入社員が10人入社したら、1人は1日目、3人は1週間で退職、半年で全員退職

 

あと、こんな特徴もありました。

・2週に1度の社長への成果報告、未達だと徹底的に詰められる

・とにかく大声で発声(出社時、帰社時、来客時、発表時)

・活動報告書は毎日社長に提出

・毎日の時間外勉強会(週に1度は自分が発表、内容が拙いと罵詈雑言)

 

私がブラック企業で学んだ事

入社2週間目で学んだ事

1.行動すれば打開できる

入社1ヵ月目からノルマがあり、即1日目から求人開拓活動を命じられます。初めての医療業界で、知識もなく、何をどう喋れば相手の信頼を得て、求人を登録してもらえるのか、全くイメージが沸きません。組織上上司はいるのですが、そもそも事務所にいませんし、マニュアルもありません。与えられているのは、机とPCと電話のみ。何をどうすればよいかわからず、誰かが助けてくれる事を望みながら、うじうじと悩むだけで、日が過ぎていきました。

しかし、2週間に1度社長に直接成果報告をせねばならず、もし1件も成果がないという事になれば、入社2週間目でも容赦なく詰められる事は明白です。(他の社員が詰められる様子を事務所で常に見せられています)

この恐怖が、私を行動に駆り立てました。覚悟を決め、午前3時間ぶっ通しでテレアポ、午後はアポがとれたら訪問、訪問先の近くの病院も飛び込みで訪問という事を自分に課しました。開始する前は、上手く受け答えできなくて相手を怒らせたり、恥をかくのではと不安だったのですが、新人で知識不足である事を正直に伝える事で、そのような事は殆どなく、多くの場合不安は杞憂に終わりました。そして、結果的に、先輩社員よりも多くの求人が取ってこれるようになりました。

怒られたくない恐怖という子供じみた動機でしたが、入社してわずか数日で未知の領域に飛び込むというこの経験を経て、行動を起こす前に持っている不安の多くが杞憂に終わるものだという事がわかりましたし、自分の窮状を救うのは自分の新たな1歩しかないという事を学びました。

入社1ヵ月目で学んだ事

2.   それでも感謝は燃料になる

ノルマを達成しない人間に対する、社長の詰め方は激烈でした。

例えばですが、ある先輩社員はノルマに届かなかった為に、社員全員の前で散々罵詈雑言を浴びせられた後「おまえは、給料いらんていう事やな!わかった、明日からお前はパートや、結果出るまでパートとして働け!」と言われ、本当に次の日から時給勤務の事務職に配置換えされ、床掃除をしていました。

こんな事が日常茶飯事でしたので、職場は恐怖で支配され、緊張が常に張りつめていました。私自身、長時間拘束や失態への𠮟責の恐怖で、常に疲れていましたし、仕事へのモチベーションは上がらず、入社1ヵ月にして、いつ辞めようかと考える日々でした。

入社して1ヵ月を過ぎた頃、今度は求職者との面談と紹介成立を命じられ、初めて求職者の方と面談を行いました。面談では、資格、経歴、希望等を確認するのが目的ですが、ホテルの喫茶室等で面談する為、結構長話になる事が多いのです。私が最初に面談した看護師さんとの面談でも、話が長くなり自分の会社のきつさ等を愚痴って聞いてもらうような感じになりました。そうなると、すぐにでも辞めたいと思っている仕事なのに、こちらも感情移入して、この人の役に立てたらいいなぁと思うようになります。で、この人に絞って求人を探す日々が始まったのですが、結果的に上手く案件成立する事ができ、最終顔合わせの際に、病院の担当者とこの看護師さんの双方から「ありがとう。助かりました。」と笑顔で言ってもらう事ができました。自分が想定していた以上に、この感謝は当時の私にとっては、喜びにつながり、砂漠のオアシスのような感じがしました。糞みたいな職場でしたが、この経験は、自分の仕事により困っている人が笑顔になるという事が、自分の喜びになるという事を学ばせてくれました。この事は、今も私が仕事を選んだり、業務の企画をする際の大きな指針となっています。

入社2ヵ月目で学んだ事

3.結局頼れるのは自分

一応チーム制になっているのですが、ノルマ未達の場合、社長はチームなどおかまない無しに、徹底的に個人攻撃をしてきます。かばえば自分が被弾するので、上司が部下をかばう事はありません。よって、入社して暫く経つと、上司など自分にとって何の役にも立たない存在で、自分の行動で数字との勝負に勝ち続ける事が唯一の生き抜く術という事がわかってきます。

結果への責任は全て自分が負わされる。この環境において生き抜くには、全ての行動の指示は自分で自分にしなければならない、誰かの指示を待ったり、自分以外の誰かへの責任転嫁をしても全く救われない事を学びました。この事は、今でも自分の仕事の仕方に影響を与えています。

 

(但し、大企業に入ると組織の大きさからチームワーク、助け合い、協働などという事が強調されます。一概には言えませんが、これは、日本の大企業にありがちな目的や責任の所在のあいまいさを生み、結果的に仕事のパフォーマンスを下落させていると感じます。)

 

私がブラック企業で失った事

退職した月の給与は振り込まれませんでした。

 

まとめ

世間では、ブラックは叩かれていますが、

・業務内容が正しい(詐欺まがいではない)

・体力、精神力の限界が訪れる前に脱出できる

という前提であれば、若い人にとっては、非常に面白い経験になるのではないかと思います。(合わない人は一週間で心が病みますが。)

 

 

ASEAN10ヵ国 業務目的訪問でビザ(査証)の不要な国

ASEAN各国によく出張に行くのですが、どの国にビザが不要で、どの国に必要かいつもわからなくなりますので、自分の為にまとめました。(ビザの申請ってめんどくさいんですよね。)

2020年時点でASEAN10ヵ国で、日本国籍を持つ方が業務目的で訪問する場合、ビザが不要なのは、ベトナム、マレーシア、フィリピン、ラオスインドネシアシンガポールの6ヵ国ですね。参考になれば幸いです。

f:id:DonOkamoto:20200507171132j:plain

ASEAN VISA

なお、上記情報提供は、将来に渡りその内容を保証するものではありません。ビザ要否の規定は変更される場合がありますので、渡航前にご自身で大使館へ御確認ください。 

2,000万儲けて、2,000万円失った実体験から言います。FXには手を出すべきではない理由。後編。

私の体験談

2000万円損した時の話

2007年後半に入ると円は120円をトライするのですが、何度も壁に跳ね返され、円安のスピードは徐々に落ち始めてきます。押し目を伺う時間が長くなり、トレード回数も減少、勝率も少しづつ減少し、これまでのように資金が右肩上がりに増えない状況が続きました。

円安トレンドは終焉が頭をよぎる事はありましたが、アメリカ経済絶好調、金利高の状況は変わりませんでしたし、「円安トレンド」の考え方が2年間に渡る度重なる成功体験をもたらしてくれた事もあり、私はこの停滞は更なる円安への踊り場と捉えていました。

この頃から経済ニュースで「サブプライムローン問題」という言葉を見るようになります。低所得者向け住宅ローン担保証券債務不履行により、金融機関が大きな損失を出し始めた問題です。今であれば、これが当時のアメリカのバブルを支えていた、信じられないほどいい加減な金融の仕組みが崩壊しつつある事の兆候である事がわかるのですが、いくらアメリカ経済状況を勉強していたとはいえ、小企業のサラリーマンである私にはこの情報の重要性が全く理解できませんでした。

そして遂に、急激な円高がやってきます。(120円近くまで達したドル/円は2008年末には103円に達しました。)

私は、2008年当初の円高への反転を見てもなお、私は踊り場であるとの考えを保持してました。2006-2007年の円安トレンドの時にもひやっとするような円高局面はありましたが、私はそこで押し目買いをして散々儲けてきたのです。今回もきっと同じパターンで儲けられるはずと考えていました。

しかし、私の読みに反し相場は円安に戻ってきません。値が戻らない状況で、押し目を入れますのでロスカット/負けを繰り返します。負けを取り返す為に、取り戻す為に投入額は大きくなっていき、損失額も大きくなります。こうして私の勝ちパターンの歯車は大きく狂い出しました。

本来ならここで止めるべきです。しかし、私は、自分を見失い始めていました。これは、金を失う事からよりも、投資で成功した自分、これからも成功しつづける自分、というアイデンティティを失う恐怖からであったと思います。負けが増え、資金が減っていくに従い、手の届くところにあった自分の夢見た姿が削られるような気がして、それを取り返すための自分の行動を止められなくなるわけです。毎日毎日PCの前で、血が引いていくような思いで画面を見つめていました。当然FX以外の事は何も手がつかなくなってしまっていました。

今になって振り返ってみれば、トレードを止めれないにしても、何故トレンド転換(円安→円高)したと判断する事が何故できなかったのか。と思います。しかし、自分が負け続けて追い込まれている局面だからこそ、過去の成功体験にすがってしまっていたのだと思います。

そして、儲けた2,000万円は、2008年に入り約半年程度でゼロになってしまいました。それでも私は止めませんでした。栄光の自分を取り戻す為に、FX口座の資金がゼロになっても、どうしてもあきらめがつかなかったのです。貯金等を少しづつ、口座に入れて、自分を取り戻すために、もとは50万から40倍に増やしたんだからと、また投資してしまいます。

今度は、円高トレンドと決めてトレードをするのですが、過去に円安で成功した私は、少し円安への動きがあると、円安トレンドへ変換になると思ってしまい、円高ポジションを解除してしまっていました。ここでも過去の成功に捕らわれ、中途半端なトレードしかできなくなっていました。

そして、200万負け。そこでやっと、もう自分には勝てないと思うようになり、口座を解約しました。

最後に

最初にも言いましたが、FXで勝つことはできます。勝っている人もそこそこいると思います。でも、勝ち続けている人は殆どいないと思います。何故なら、勝ち続けたら止められない、負けるまで止める事ができないと思うからです。

それでもFXをやってみたいと思う方は、絶対に100%勝ち逃げするという強い自制心を口座開設前から持つ、または強制口座解約の仕組み(例えばある程度儲かった時点で奥さん等に強制的に口座解約される)を事前に作っておく 等の工夫をしてください。

では。